作業所の支援者でした
10年以上、知的障害のある人たちと農業をしてきた。私は、畑での活動を中心とする障害者福祉施設(昔でいうところの「作業所」)の支援員だったからだ。
最近、転職したので、ここで自分の仕事の振り返りをしようと思う。書かないと忘れてしまうだろうし、せっかく身に着けたことを忘れてしまうのはもったいない気がするから。また、書くことで、これを読んだ誰か、たとえば同じような仕事をしている誰かの助けになったら嬉しい。さらには、関係ない仕事の人にも、「なるほど、障害者福祉施設の職員はそういうことをやってるのか」と理解してもらえたら嬉しい。
私はどのような仕事をしてきたか?
振り返るにあたって、私がしてきた仕事を簡単に紹介する。守秘義務と身バレ防止の観点から、詳しくは書けない。ただ、仕事の振り返りにはそれでも十分だと思う。さほど特殊な仕事ではなく、似たような職場は数多あるからだ。
私は、就労継続支援B型の障害者福祉施設で、支援員として働いていた。就労継続支援B型とは、一般の会社などでは就労が難しい人たちに働く機会を保障するサービスだ。
私のいた職場では、このサービスを、主に知的障害のある人たちが利用していた。仕事内容は農業が中心だ。福祉施設で農業というと、「自然とのふれあいで癒される」という園芸療法的なイメージをする人もいるかもしれないが、そういう感じではない。近隣農家と比較してもそこそこの規模で、自分たちで野菜を栽培し、農協(JA)や直売所などに卸していた。仕事としての農業だ。
支援は、「作業支援」と「生活支援」に分かれる
私の支援員という立場は、上記のように農業を主として、利用者さんに仕事の機会を保障するのが仕事だ。そのための支援である。では、支援とは何かというと、作業支援と生活支援に分かれる。
作業支援とは、利用者さんが作業に調子よく参加できるためのサポートだ。具体的には、農作業の見守りと補助、利用者さんが難しい仕事の代替(トラクターや軽トラの運転など)、作業用具や資材の調達、作業場所の環境整備、作物の栽培計画の作成、売上の記録・集計などがある。
生活支援とは、利用者さんの生活面の支援だ。だれも仕事をするためには、生活リズムを整えたり、服装を整えたり、健康管理をしたりする必要がある。そのために、利用者さんの様子をみて、話を聞いたり、声をかけたり、服装のチェックシートを作成したり、バイタルや体重の測定をしたり、服薬管理の手助けをしたりする。
仕事と生活の両輪がバランスよく駆動することで、日々の生活が順調に進んでいく。そのための利用者さんへのサポートが、支援員の仕事であり、私の仕事だった。(実際には、仕事はもうちょっと多岐に渡る。作業支援と生活支援は、どちらも利用者さんそれぞれのニーズにあわせた個別支援計画に沿ってなされる。その個別支援計画の作成、振り返り(モニタリング)なども仕事である。適切な支援をできているか振り返るために、毎日、利用者さん一人ひとりの様子やその利用者さんへの支援について記録する(ケース記録の作成)。また、特に生活支援については、利用者さんの家族やグループホーム職員、相談支援専門員や医療関係者などとの連絡・協力が必要となる。その他にもあれこれあるのだが、特に利用者さんを送迎するための車の運転は、業務時間の結構大きな部分を占めていた。)
なお、私の立場としては、チームリーダーという立場だった。私のいた施設では、担当する作物などに応じて複数のチームに分かれていた。私がいたチームには15人程度の利用者さんと3人の支援員がいて、私はその支援員のリーダーだった。(リーダーというと聞こえがよいが、たんに古株だったからそうなった。同業者の皆様には、10年以上働いて管理者やサービス管理責任者どころか主任にもなっていないあたり、私の平凡さや人徳のなさがご理解いただけるだろう。)
作業支援はどのように大切か?
仕事の振り返りの最初として、まずは作業支援からとりかかる。利用者さんにとって、施設にいる時間の大半は作業時間だ。したがって、支援業務においても作業支援の重要性は高い。生活支援あっての作業支援ではあるが、施設にいる間だけでできる生活支援は、正直限界がある。生活の場は、家やグループホームだからだ。それに私としては、作業支援あってこその生活支援だと、経験的に感じている。だから、作業支援の話からはじめたい。(ここでは特に、知的障害のある利用者さんを中心とした就労継続支援B型における作業支援、それも農作業における支援を中心に書く。というのも、私がそのような仕事をしていたからだ。この記事の内容がどれくらい一般化できるかは、皆さんのご判断を仰ぎたい。)
まず、作業支援とは、「利用者さんが作業に調子よく参加できるためのサポート」だと先ほど書いた。前提として、作業の主役は利用者さんたちだ。私たち支援員は、利用者さんたち一人ひとりが活躍できるようように、また、それを通じてチーム全体として作業目標を達成できるように、利用者さんをアレコレとサポートする。そのアレコレが作業支援だ。
「アレコレ」とは、作業内容の調整、一連の作業の分割と割り当て、手順書の作成、道具や環境の工夫、わかりやすい作業法の伝達などであり、利用者さんと作業にあわせてなされる。その選択肢は多様であるがゆえに、作業支援は支援員の工夫の余地が大きい。工夫してうまくいけば嬉しい。だから作業支援は、仕事のやりがいポイントの一つだ。その一方で、もしも作業支援がうまくいかないと、利用者さんがそれぞれの力を発揮できないだけでなく、不満や退屈から「問題行動」へといたる可能性が高くなる。この「問題行動」にばかり着目して対処していると、支援は後手にまわり、利用者さんの生活に混乱をきたす。そうなったら、支援員も目がまわるばかりで、仕事のやりがいどころではない。だから、作業支援あっての生活支援だと、私は考えている。
作業支援の基礎は「流れ」の調整
作業支援が順調にいくかどうかで、売上などの作業の達成度はもちろん、利用者さんの調子や職員のやる気も左右される。だから作業支援は重要である。
では、多様な選択肢がある作業支援において、私たち支援員は、どのようにその都度特定の支援活動を選んでいるのか。まずこの選択において重要なのは、個々の利用者さんの能力の発揮や、チーム全体としての生産性の向上という目標である。ただ、この目標は常に念頭にあるが、作業支援の具体的な選択の基準としては、少々抽象的で漠然としている。目標と選択との間に距離がありすぎるから、考えるのに時間がかかる。しかし、作業中にゆっくり考えている暇はない。
たとえば、利用者さん10人以上でほうれん草の出荷準備をしているときは、ほうれん草がかなりのスピードで積みあがっていく。その作業中に、何かうまくいかないからと、どこが悪いのだろう、どうしたらよいだろう、などとゆっくり考えていたら、作業はあらぬ方向へ行き、ほうれん草は傷つき、しなびてしまう。利用者さんはがっかりし、不満を抱く。かといって、何かあるたびにいちいち全員の手を止めていたら、それはそれで利用者さんのやる気を削ぐし、やりきれなかった畑のほうれん草は伸びきって畑の肥やしになってしまう。ゆっくり考えていては、目の前の事態に対処しきれない。だから、実際に支援する際には、トラブルの芽に早めに気づき、そこをすぐに手当てすることを可能とするような、直感的な視座が必要となる。
その作業支援における直感的な視座とは、「流れ」の調整だ。「流れ」を見ること、つくること、よくすることが、作業支援の基礎中の基礎だ。少なくとも、私はそのように作業支援していたし、私の周囲の作業支援がうまいとされる支援員は、この「流れ」の調整が上手だった。
前述のほうれん草の出荷準備を例に説明する。ほうれん草を出荷するためには、①収穫する→②根を切る→③不要な外葉をとる→④土を拭く→⑤汚れや虫食いなどないか確認する(ある場合には取り除く)→⑥重さをはかる→⑦袋に入れる→⑧出荷用の箱に入れる、という工程を踏む。このように工程を分けたうえで、それが一連の活動としてスムーズに進んでいるかを直感的に判断する認識ツールが「流れ」である。この場合、一連の作業という「流れ」にのって、ほうれん草が流れていくイメージだ。
①から⑧までに分けたが、これはこの作業に8人を必要とすることを意味しない。人によっては②~⑤までを一連の作業としてこなす。だが、あえてAさんは「②根を切る」だけ、Bさんは「③外葉をとる」だけ、Cさんは「④土を拭く→⑤汚れや虫食いなどないか確認する」だけ、と分業した方が「流れ」がスムーズな場合もある。それは②はハサミ、③は手、④は布巾、というふうに使う道具がかわり、その都度持ち替える必要があることで、「流れ」が悪いからだ。一方で、「⑦袋に入れる→⑧出荷用の箱に入れる」は、分けたところで⑦の担当者は袋詰めしたほうれん草をどこかに置く必要がある。だから、ほうれん草を入れやすい場所に出荷用の箱を置き、⑦⑧を一連の動作として理解した方が、「流れ」がよいだろう。重要なことは、①~⑧をチーム全体としてスムーズかつ適切に遂行すること、全体としての「流れをよくする」ことだ。
たとえば、「⑦袋に入れる」を担当する人が手持無沙汰にしている時間が多いときに、「手前のどこかで流れが悪いな」と考える。全体を見渡して、「⑥重さをはかる」のはかりの手前(「⑤汚れや虫食いがないか確認する」との間)にほうれん草が積みあがっていることに気づいたら、それは「⑥重さをはかる」で「つまっている(から流れが悪くなっている)」と判断する。「流れをよくする」ためには、「⑥重さをはかる」の(a)担当者の変更、(b)担当者の増員、(c)現担当者のままやり方を変更、というどれかでスピードを上げるか、(d)詰まっている箇所(⑥)のペースにあわせるためにそれ以外の担当者(①〜⑤と⑦)を変更する、という方法がある。
(a)~(d)のどれを選ぶかも、「流れ」を見ることで判断する。私の経験上、不慣れな支援員は「(a)担当者の変更」を拙速に選ぶ傾向がある。実際、「つまっている」箇所の担当者を手早い人に変えれば、即座に「流れをよくする」ことができる。余裕がないときには、この選択肢は重要となる。しかし、それでは「⑥重さをはかる」の元の担当者は自信を失うかもしれない。適切なフォロー、たとえば、次の機会の提供とそのときのための練習の機会の提供を約束する声かけなどが求められる。
「(b)担当者の増員」は、この「流れ」では、かなり有効に思われる。それというのも、全体を見たときに、①~⑤の「流れ」が相対的に早いからだ。「①収穫する」は「流れ」の端緒だから、一番最初に終わる。その担当者が、「⑥重さをはかる」の増員として行く方法がある。また、②~⑤は1人で複数の作業をこなすことも可能だから、複数人いる場合には誰かが「⑥重さをはかる」の増員にいって欠けても、「流れ」は悪くならない。ほかには、最もシンプルな方法として、「⑦袋に入れる」の担当者がそもそも手持無沙汰だから、「⑥重さをはかる」に加勢すればよい。
「(c)現担当者のままやり方を変更」は、「(b)担当者の増員」との組み合わせとして有効かもしれない。それというのも、やり方を変えるには、まずは余裕が必要だからだ。やり方を変えるためには、どのようにやり方を変えるかを支援者が判断し、新しいやり方を考え、試し、よさそうなやり方をみつけたらそれを利用者さんに教え、習熟するように促す、という過程が必要である。だからやり方を変えるときは、短期的にはむしろ以前よりも「⑥重さをはかる」に時間がかかり、「流れ」がさらに悪くなってしまう。そのため、まずは「(b)担当者の増員」で余裕をつくり、そのうえで、「(c)現担当者のままやり方を変更」にとりくむとよい場合が多い。
小さな「流れ」を見る
「(c)現担当者のままやり方を変更」をするためには、「流れ」の見方には大小があることを理解していると、話が早い。先ほどまでは①~⑧までを一つの「流れ」として記述してきた。ただ、この①~⑧という分け方は便宜的なもので、実際にはもっと小さく細かく分けることができる。たとえば「⑥重さをはかる」という一つの工程は、(ア)ほうれん草をつかむ→(イ)むきをそろえる→(ウ)根本をそろえる→(エ)はかりの上にのせる→(オ)メモリを見て確認する→(カ)少なければ(ア)に戻る、多ければ減らす→(キ)メモリを見て確認する→(ク)ズレていれば(カ)に戻り、ぴったりならば「⑦袋に入れる」の担当者に渡す、というさらに小さく細かい工程でなされている。このように「⑦袋に入れる」を(ア)~(ク)の一連の「流れ」としてみると、この「流れ」のうちで短くできるところ、早くできるところが見えてくる。
具体的には、「(イ)むきをそろえる」は、「⑥重さをはかる」ではなく、「⑤汚れや虫食いなどないか確認する」に含めることで、「⑥重さをはかる」の「流れ」を短くできる。また、同様に、「(ウ)根本をそろえる」は、「⑦袋に入れる」に含めることができる。これによって、「⑥重さをはかる」における(ア)~(カ)の「流れ」が短くなるので、①~⑦の「流れ」において⑥で生じていた「つまり」が少し解消され、「流れ」がよくなる。
もっと細かく「流れ」を見ることもできる。たとえば、ほうれん草を230グラムで計量しているとする。この際、「⑥重さをはかる」の「(オ)メモリを見て確認する」では、(ⅰ)現在の重さを示す針の位置をみる→(ⅱ)200のメモリをみる→(ⅲ)そこから10グラムごとのメモリを3本数えて230グラムの位置を確認する→(ⅳ)230グラムのメモリと、現在の重さを示す針との差を判断する、という一連の「流れ」として見ることができる。この際、たとえば、事前にはかりの針を30グラム戻しておくことで、200グラムのメモリが実質的には230グラムになる。そうすると、(ⅱ)~(ⅲ)が「200グラムのメモリをみみる」という一つの工程に短縮される。あるいは、230グラムのメモリにシールなどで印をつけてもよい。これにより、(ⅰ)~(ⅳ)という「(オ)メモリを見て確認する」の「流れ」が短くなり、それによって「⑥重さをはかる」の「流れ」が短くなり、さらには①~⑧の「流れ」もよくなる。
大きな「流れ」を見る
以上のように、「流れ」をより小さく細かく見ていくことで、結果としてそれより大きな「流れ」をよくする可能性が見えてくる。その一方で、「流れ」をより大きく見ていくことも大切である。
「(d)詰まっている箇所(⑥)のペースにあわせるためにそれ以外の担当者(①〜⑤と⑦)を変更する」は、一見すると、悪手に見えるかもしれない。それというのも、「⑥重さをはかる」の遅いペースに全体のペースを合わせるため、一見すると非効率だからだ。だが、これもより大きな「流れ」において見ると、必ずしも悪い選択肢ではない。
たとえば、「(1)ほうれん草の出荷準備」だけが、今日やるべき仕事とは限らない。「(2)長ネギの収穫」もやる必要があるかもしれない。その場合には、「(1)ほうれん草の出荷準備」の流れにおいて十分に活躍できていない①~⑤と⑦から何人か抜けて「(2)長ネギの収穫」に行くことで、「(1)ほうれん草の出荷準備」の流れは速くならないが、「(2)長ネギの収穫」に早めに取りかかることができる。結果として、今日やる仕事全体の大きな「流れ」は、むしろよくなる可能性が高い。
これはその日の仕事の「流れ」だけでなく、1週間の仕事の「流れ」、1ヶ月の仕事の「流れ」、1年間というように、より大きな「流れ」においても見る必要性につながる。たとえば、ほうれん草は、収穫に適した期間が短い。油断すると数日で大きくなりすぎて、売り物にならない。一方、長ネギは、収穫できるくらい育っても、しばらく畑に置いておける。1ヶ月ほどの間にすべて収穫・出荷すればよい。だから、上で記したように、まずは「(1)ほうれんの出荷準備」を優先して、その進捗にあわせて「(2)長ネギの収穫」を進めればよい。
また、利用者さんの適性にあわせて全体の作業の「流れ」を考える必要がある。たとえば、ほうれん草は傷つきやすい。手先が不器用の利用者さんには、不向きなこともある。長ネギはほうれん草ほどではないが、それでも繊細である。しかし、里芋であれば、傷はつきにくく、手先の器用さはそれほど求められない。どちらかと言うと、体力勝負である。逆に言えば、ほうれん草の出荷準備は得意でも、里芋の収穫は苦手な人もいる。できる仕事がないから利用者さんを暇にさせる、というわけにはいかない。だから支援者は、仕事の組み合わせに頭をひねる。
くわえて、農業という仕事上、季節によってつくる作物も変わる。当然、収穫だけではなく、それまでの畑作り、種まき、定植、除草、薬散、その他諸々の作業がある。輪作といって、同じ畑に同じ科の作物を植え続けないようにまわす必要もあるし、どこに何を植えるか考えるためには、畑の広さや水捌け、井戸からの近さ、収穫物を運んだりする車の入りやすさ、施設からの徒歩での行きやすさなど、多数の点を考慮する必要がある。
まとめ
以上のように、作業支援では、環境などの条件を考慮しつつ、利用者さんそれぞれの仕事の適性を踏まえて、一人ひとりが活躍できるように、作業の「流れ」をつくる。よい「流れ」ができると、それぞれが力を発揮できるうえに、全体で協力して効率的に働ける。そうすると、働いていて気持ちがよい。気持ちよく作業できると、作業に集中できるし、それを通じて成長できることも嬉しい。逆に、やることがないと、利用者さんは暇で、「問題行動」を起こす。それは利用者さんが「問題」だからではない。他の人が忙しそうに働いているのに、自分だけやることがなく、ただぼんやりとしていろと言われれば、誰だって「問題行動」をするほかない。だから作業支援は大切で、支援者としては、そこに難しさもやりがいも感じられる。