いずれ春永に

日々のあれこれや読書の記録

誰がために米を研ぐ

米を研ぎ忘れていたことに気づいた。

私はお昼は弁当派だ。前日の夜のうちに米を研ぎ、炊飯器にセットする。翌朝、弁当箱に白米と、少々のおかずを詰めこむ。

その弁当用の米を研ぐことを忘れていた。今は日曜日から月曜日に変わったばかり。深夜0時過ぎ。うっかり夜更かししてしまった。早めに寝たい。だが、米は研がねばなるまい。明日の朝に研いだのでは、間に合わない。早起きはしたくない。

しかし、と思う。日曜日の夜は、面白い時間帯ではない。明日からの仕事を思い、心が重い。まして寝る直前である。明日からのつらい労働に打ち勝つため、今晩は前向きな気持ちで終わりたい。

だから、やらねばならない、という後ろ向きな理由から米を研ぎたくない。もっとポジティブに研ぎたい。べき思考から解き放たれて、自由にのびのびと、いきいきと、充実した心持ちで米を研ぎたい。いや、研ぐのだ。そう決意した。

そうと決まれば、発想の転換だ。すべては捉え方次第だと、エピクテトス先生も言ったそうだ。米を研がないと困る、というのは一つの認識だ。間違ってはいないが、唯一の事実ではない。

そう、私は米を研ぐと、嬉しい。明日の朝、「やった! 昨日のうちにお米を研いだ俺は偉い! 弁当を作れるぞ!」と喜べる。勝ち確だ。明日の朝、勝鬨を上げる。その布石として、米を研ぐのだ。

しかも、弁当を作る効用は、明日の朝にとどまらない。当然、お昼に嬉しい。弁当がないと、コンビニで買うことになる。そうなれば、お財布を気にして、おにぎり2個だろう。物価高騰は恐ろしい。人心を蝕む。一方、手作りの弁当は安い。腹も膨れる。味も自分好みにしつつ、塩分控えめにできる。最高だ。

くわえて、しっかりと弁当を食べることで、その後の仕事のパフォーマンスも上がる。腹が減っては戦はできぬ。「武士は食わねど高楊枝」ともいうが、あれは泰平の世の強がりだ。令和の労働という名の戦場を生き抜く私には、そんな痩せ我慢をしている余裕はない。だから今、米を研ぐ。それにより、明日の午後の私は、英雄的な精神を発揮できるだろう。

私は今こそ、明日の朝、昼、午後の私に向けて、米を研ぐ。圧倒的に研ぐ。きっちり2合。研ぎ尽くす。水は贅沢に3回捨て、水位線にぴったりの表面張力で合わせる。そして、炊飯器の予約スイッチを厳かに、しかし力強く押し込むのだ!

ーーと、脳内で壮大な勝利の賛歌を鳴らしながらキーボードを叩いているうちに、時計は1時をまわっていた。……米を研ぐ前に、早く寝るべきだったかもしれない。

 

「人生」は噛みしめると甘くて寂しい

「じゃあ、人生じゃん」と、妻が言う。

実家から、とうもろこしが6本も届いた。毎年、夏になると両親が送ってくれる。例年は、私の小・中学校の同級生のT君の家で注文していた。T君の家は農家で、季節になると、家の隣が直売所になる。そこで頼むと、とうもろこしにくわえて、きゅうりやオクラ、ズッキーニなどの夏野菜を箱に詰め合わせて、宅配便で送ってくれる。特にトマトは絶品で、完熟で収穫するから、手にのせるとずしりとして、味がしっかりしている。毎年の楽しみだった。

私も一時期、仕事で野菜を作っていた。当然、日頃は自分で作った野菜を食べていたが、T君の家の野菜の方が旨かった。それで、T君に栽培のコツを聞こうかと思うこともあった。だが、流通のために規格通りの野菜を大量に育てる私の仕事と、日持ちはしなくても旨い野菜を作る彼の家のスタイルとは、あまりにもかけ離れていた。そんなわけで、関心はありながらも躊躇っているうちに、私はいろいろあって、転職してしまった。だから、そんなことを私が考えていたことを、T君は知らない。それでも、私は夏のはじめに野菜が届くたびに、尊敬の念を抱いていた。

T君のお父さんが病気で亡くなった、と私が自分の母から聞いたのは、昨年の秋頃だ。T君にそっくりな顔で、背が低くて手足が短いけど骨太そうな体格。あまり話したことはないけど、いかにも田舎の農家のおじさん、という風体だった。T君はお母さんと2人で農業を続けているらしいが、作る品目を減らして、直売もやめてしまったと聞いた。お母さんは、直売所の時期は販売をしていたし、おそらく袋詰めなどの担当で、外仕事はそれほどしていない。だから私は、畑で孤独に働くT君の背中を思い浮かべ、心細い胸中を想像した。それでいて、もう何年も会っていないし、何ができるわけでもない私から声をかけることも躊躇われた。その結果、私はただ手前勝手に心配して、T君がどうにか畑をまわせるようになることを、祈るだけだった。

この夏に届いた段ボール箱には、とうもろこしは入っていたが、トマトや他の野菜は入っていなかった。うちの両親が他の場所で頼んだものだから、当然ではある。スマホをポケットから出して、両親にお礼をするために、家族で作ったグループLINEを見る。兄の家には先に届いたらしく、写真が上がっている。4歳になる私の甥っ子が、とうもろこしを小さな両手で持ち、目を大きく開けて、嬉しそうにかぶりついている。

私は妻に声をかけ、手分けして、とうもろこしの加熱調理を済ませることにした。私が台所のシンクで皮を剥き、蛇口から出た水にザザッと通して、妻に渡す。渡された妻は、ラップで包み、1本ずつレンジにかけていく。「とうもろこしは茹でるよりチンした方が栄養が抜けなくておいしい」というのも、以前にT君のお母さんから聞いたことだ。

6本すべて剥き終わり、レンジの待ち時間の間に、先にできあがったやつを1本、ラップから出してみる。蒸気とともに夏の香りが広がり、食欲を刺激する。だが、かじると歯まで火傷しそうだ。少し待つことにする。

「これ、1列に何粒あるかな?」と、私が呟く。待っているのが暇だからか、ふと浮かんだ。横にいる妻に、「まず予想しよう」と持ちかけ、それぞれに数を言い合う。それから、「いち、に、さん、よん」と、妻が指をさして一粒ずつ数えていく。数えあげると、私の予想の方が少し近かった。だが、そんなことよりも、端の粒に到達したときの数字が、私の年齢とぴたり同じだった。

「僕の歳と同じだ」と私が言うと、妻が冒頭の言葉を口にした。「じゃあ、人生じゃん」と。不釣り合いなのに、どこかしっくりとくる気もして、私たちは黄色い6本を「人生」と呼んだ。そこから2人で、1本の「人生」を、交互にかじりあった。

「うわ、なんか飛んだかも。ごめん」と謝りながらも、妻が手に持った「人生」に歯を立て、粒々を撫でとる。もぐつく妻から、「この「人生」、甘くて汁がすごい」と、そっと差し出され、私も「人生」を味わう。特有の香りや味、食感などに集中して、意識が満たされる。

「おいしいね」と妻に同調しながらも、ふと思う。この「人生」は、T君とつながっていない。私の知らない誰かが作り、たまたま私の手元にある「人生」だ。でも、そんな「人生」も噛みしめると甘いし、悔しいくらいに瑞々しい。それは仕方ないし、きっと希望ですらある。

妻はこの「人生」を気に入ったようで、写真で見た甥っ子と同様に、いきいきとかぶりついている。私は私の分も含めて、その残りの「人生」を、妻に譲った。「いいの?」と確認しながらも、手も口も止める様子はない。「喜んでくれて嬉しいよ」と心からの想いを伝えながら、少しの寂しさが胸に残った。

 

床屋の鏡で胸がひゅっとする

鏡と向き合って座っている。鏡のなかには無愛想なおじさんがいて、こっちをずっと見ている。

ここは床屋だ。髪を切るための席にはすぐに案内されたが、私はしばらく待っている。駐車場の混み具合で先客が多いことはわかっていた。だが、この前の休みも髪を切るつもりが台風で断念させられた。持ち前の癖っ毛は伸びてしまい、襟足なんぞはくるくるである。観念した私は入店し、順番を待っている。手持ち無沙汰ではあるが、読みかけの本はロッカーにしまったリュックのなかだ。スマホは手元にあるが、最近はスマホ画面を見ると目がしょぼついて、その後に支障をきたす。それで諦めて何もせず、店員が寄ってきて髪型を聞いてくるそのときを、ただひたすらに待っている。

鏡のなかのおじさんは、微動だにしない。まっすぐにこちらを見つめている。これほど誰かと目を合わせ続けることはない。普段は向き合ったとて、どちらからともなく目を逸らす。それがマナーだ。しかし、マナーとは他者との関わりの作法であるから、自分に対して使う道理はない。それで正面から、私は私自身と、たがいの眼をあわせ続けている。

こんなにも集中して誰かを見つめることはない。それでいて、まったく不思議なことに、向き合った顔が何を考えているのか、私にはまるで読みとれない。よく見知ったはずの顔が、よそよそしく感じられてくる。動揺するとほとんど同時に、その動揺が顔に出ているのではないかと期待が湧く。だが、それでも目の前の顔の主は相変わらずで、少しも動じていないように見える。あるはずの動揺が読みとれないことに、私は重ねて動揺する。それでも、この目の前の顔は、眼すら動かすこともなく、同じ表情でじっと私を見ている。

鏡を介して出会う自身の無表情と、体感している胸のざわめきとのアンバランスに、面食らってしまう。誰かの顔から気持ちを押しはかること、そのあまりの困難さは、自分自身の顔を見たとき、そのときにこそ、最も明白になるのだな、と気づく。

他人の気持ちを直接確認するすべはない。言葉で聞いたって嘘かもしれない。自分の顔と出会うときだけ、観察可能な外見から想像される気持ちと、実感している内面的な気持ちとを照らし合わせ、答え合わせできる。推察と実態とがズレていることを確認できるのは、鏡を通して私自身と向き合うときだけだ。

胸がひゅっとする。私は誰の気持ちもわかっていない。甘くみていた。思っていた以上だった。そんなこと、理屈ではわかっているつもりだった。だが、生々しい現実として、実感した経験がなかった。そんなにも、どれほどわからないかもわからないほどに、他者をわかり得ないとは。

だが、そこで思い直す。それは本当に、悪いことか。ひょっとすると、むしろ、よいことではないか。そんな気もしてくる。

もしも私が誰かの気持ちを完全にわかったら、自分のことのように感じとれるとしたら、どうだろう。誰かの苦しみや悩みを、我が事のように受けとるとしたら。私はきっと、その渦中にある人を、何をしてでも助けたくなる。何もしないことは、自らにとっても苦痛であり、やりきれないからだ。

いや、今だって、ある程度はそうだ。共感して、助けようとして、ややもすると、押し付けがましい手を差し伸べてしまう。その手で、自分の考える「正解」の入った箱を渡して、相手が受け取らなかったり、箱を開けなかったりすると、「どうしてわからないんだ!」と苛立ってしまう。自分の思い通りにならない他者に業を煮やし、鬱屈とする。

それでも、話は聞いても、助言はしても、最後の判断はその人に任せるべきだと、思いなおせる。任せざるを得ないのだから。結局、その人の気持ちはその人にしかわからない。私がそれを直接感じることはできない。私がその人を見て、話をして、何かを感じたとしても、それはあくまで私だけの気持ちで、その人の感じている何かとは別物だ。

だから私は、その人自身の決めた選択を、その人だけが負い得る責任として、尊重できる。その人の人生は、他の誰でもなく、その人のものであることを、確信できる。それはある種の倫理であると同時に、救いだ。

他人事がどこまでも他人事であり、私の事ではないという圧倒的事実。どんな嬉しい気持ちもつらい気持ちも、喜びもしんどさも、私のものは私だけ、あなたのものはあなただけが、感じられる。それを理由として、私はあなたと、超えられない線を引ける。あなたの人生はどこまでいっても私の人生ではない、というわきまえと、尊重。この責任の境界線こそが、他者への共感による情緒的な消耗から、私を守ってくれる。

あなたが目の前にいるとき、私はあなたをわかろうとする。話を聞き、表情を真剣に観察する。言葉を差し出し、その反応を理解するよう努め、また応答する。それでいて、私は、あなたの決定を、選択を、堂々とあなたに委ねる。しかるべき他人事として。

そんなことを考えているうちに、髪は切り終わる。私は床屋で望みの髪型を聞かれると、いつも同じ言葉で注文する。それでも、出来あがった鏡の中の自分は、不思議といつも少し違う。思い通りにならないその違いに、私は小さく安心する。

下り坂を笑い転げたい:「おじさん初心者」として夏目房之介『これから』を読む

40才を目前にして、最近、自分自身を「おじさん」だと実感する。

白髪が目立つようになり、四十肩に悩み、本を読めば目がかすむ。じわじわと突きつけられる身体的衰え。さらには気力や意欲も、体力があってこそ湧いてくる余剰だったと気づく。現状を踏まえ、これまでの人生を振り返り、自分にできることの限界が見え始める。

自分を諦めてしまうと、世の中にも無関心になっていく。かつて抱いていた社会への不満は、「自分なら何とかできるかもしれない」という己への期待に励まされていたものだった、と今になって知る。無力ではないが、望んだほどの変化はもう得られそうにない。それでも責任や役割は、私を社会のなかの特定の場所に閉じ込めている。この先を考えると、ただ肩に載っている荷を運び続けるにはあまりにも長く、かといって何か新しい道に進むには短すぎる気がする。そんな自分の立ち位置に困惑し、閉口する。

自らの変化のなかで、自身を「おじさん」として捉え直すこと、その役割を引き受け、新たなアイデンティティを作り直すこと。それが何より厄介で、落ち着かない。「おじさん初心者」ゆえの戸惑いの真っ只中に、私はいる。

そんななか、夏目房之介の『これから』を読んで、この焦燥感と付き合うためのヒントをもらったような気がした。この本は、夏目さんが50才を目前に控えた頃に書いたエッセイだ。

そこに、こんなエピソードがある。

夏目さんは「エッグファームズ」という喫茶店の常連である。そこには年の近いマスターや、愉快な常連仲間たちがいる。ある日、昔の映画に出ていた俳優の名前が思い出せず、みんなでああでもないこうでもないと唸っていた。結局、誰も思い出せないまま夏目さんは帰宅したのだが、家に着くなり電話が鳴った。受話器を取ると、マスターがいきなりその俳優の名前を大声で叫ぶのだ。ふっと思い出して、わざわざ伝えるために電話をかけてきたのであろう。夏目さんは思わず爆笑してしまう。(ちなみに、その名前すら間違っていたと後で分かる)。
この出来事を踏まえて、夏目さんはこう綴っている。


「思い出せないことにやたら焦った時期もとっくに過ぎ、もはや常態と化しているので、どちらかというと思い出せないこと自体を娯楽にして楽しんでいるようなところがある。思い出せない会話という奇妙なコミュニケーションが成り立つのだ。」(夏目房之介『これから』 p.50)


翻って、私はといえば、まだもの忘れがひどくなる年齢ではないが、読書した後に、その内容が残らなくなってきた。何というタイトルの本を読んだかすら、メモを見て思い出す始末だ。少し前まで当然のようにできていたことができなくなり、その事実に落胆する。人生のピークはすでに通り過ぎ、ここからは下り坂を転げ落ちていくだけではないか、と切ない気持ちになる。

だからこそ、夏目さんの「焦る時期はとっくに過ぎ、思い出せないことそれ自体を娯楽にして楽しんでいる」という境地に蒙を開かれる想いになった。俯いて狭くなっていた視野が広がり、新たな景色が遠くにかすかに見えてくる。自分にとっては直視しがたく感じられる変化を、地続きの「娯楽」に変えてしまう人がいる。

さらにこのエピソードは、どうすればその心持ちにたどり着けるのかという、極めて実践的な道標も示してくれている。それは端的に言えば、一緒に老いていく同年代の友人を持つことだ。

夏目さんが仕事場の近くでたまたまエッグファームズに出会い、マスターや常連たちと益体もない話で笑い合える関係を築いたのは、49才の頃だったという。「おじさん」になってからでも、そうした関係性は作れる。もちろん、夏目さんの人柄あってこそかもしれないが、年齢だけ見れば、私はまだ比較して10才ほど若い。「「おじさん初心者」の私なんて、まだまだこれからだ」と慰められ、心が軽くなる。

本の中で描かれるやりとりはどれも楽しそうで、読んでいるこちらまで愉快な気持ちになる。「おじさん初心者」としての不安が完全に消えるわけではない。それでも、「おじさん」であることを面白がれるかもしれないという期待と、面白がりたいという好奇心が、じわじわと湧いてくる。

「下り坂ではない、まだまだ登るのだ」と発奮するのではなく、「下り坂を転びながらでも、笑いあえば楽しい」。そうした開き直りのしなやかさは、少し前までの自分では認め難かっただろう。歳を重ねてこそ腑に落ちる人生の知恵。それに気づく面白さもまた、「おじさん」の特権かもしれない。

片側一車線の高速道路の高架を運転するのが怖い

片側一車線の高速道路の高架を運転するのが怖い。

年末年始に実家に帰省するため、高速道路を使った。その高速道路は途中、田舎で交通量も少ないからか、片側一車線になる。対向車線との境もポールのようなものしかない。路肩も1メートルもないと思う。要するに、とても狭い。

ただ、狭い高速道路がすべて怖いわけではない。山の中を通るときは、なんともない。たしかに、両わきは山の斜面で、落石の可能性がある。狸や鹿が飛び出てくる可能性もある。それらを理屈として考え、想像すると嫌だが、実感として恐怖は迫ってこない。

しかし、両わきの山がなくなると、話は変わる。高速道路は山を抜け、その基礎となるはずの地面を失ってもなお、高さを一定に保ち、空中に続いている。私の運転する車が、木々や田んぼをずいぶんと下の方に置いて、空の道を走り始める。途端に、胸のあたりが騒ぎ出し、たまらなくなる。

誤解されたくないので説明しておくと、私は運転は嫌いではない。高速道路も苦手ではなく、むしろ、一般道よりも高速道路の方が楽だ。私は道をよく間違えるので、分岐の少ない高速道路が好きなのだ(首都高は大嫌いである)。

また、狭い道にいつも怖気づくわけではない。対向車とすれ違うにはギリギリの細道をハイエースやキャラバンで走る仕事をしていた私は、自分の軽自動車の運転程度では慌てない。自身の運転技術に起因する懸念は、ここでは無視できるほど小さい。

高所恐怖症というわけでもない。実際、妻に運転を代わってもらった際、その道を走っていても、特段こみあげるものはなかった。平気平気の屁の河童である。ただ、自分でその道を運転するときだけ、胸の奥から不安と恐怖が湧いてくる。

車線の左側から僅かな段差を踏み越えて空に飛び出す瞬間と、右側のポールを薙ぎ倒して対向車線の車に衝突する刹那とを想像する。それらのイメージが運転中の私に絶えず襲いかかる理由は、それらの現実化が自らと隣席の妻の死に直結しているという事実だけではない。自らハンドルを左右のどちらかに一瞬ふり動かすだけで惨事を自ら選択できる状況と、そうした状況に感化されて選択する意思が自分の中のどこかにいる気配。それが怖い。

 

20代の後半、死にたい気持ちと離れられない時期があった。詳細は書かないが、うつ病で通院し、通院を辞めてからもしばらく、何をしていても漠然とした希死念慮が、胸の裏側にべったりと塗られていた。「「しにたい」は「しあわせになりたい」の略だ」などという言葉をTwitterで見ると、「私は幸せなときも「しにたい」けどな」と、この世の無理解にうんざりしていた。

あの頃、道を歩いていると車道に、駅のホームにいると線路に、足が向かいそうで不安だった。何かに誘われているようで、それに応じそうな自分が怖かった。当時に使用していた電車で、窓から崖下が見える箇所があった。そこを通るたびに下を覗いては、「深淵を覗くものはまた深淵に覗かれている」というニーチェの使い古された警句を、文字通りの意味で感じていた。

今は道路を歩いても、駅のホームにいても、何も感じない。というか、この記事を書くまで、そんな気持ちを忘れていた。1ヶ月半ほど前、紅葉が綺麗だと噂の滝を見に行くため、山のなかの吊り橋を歩いた。そのときも、崖下から誰かに呼ばれた記憶はない。(なお、紅葉はすでに散れていた。)

 

それなのに、高速道路で細い高架を走ると、その頃の感情がよみがえる。なぜかは知らないけど、自分が根底から不確かになる。ふとした拍子に崖下に落ちようとする自分がまだそこにいて、きっといつもいたことに気づいて動揺する。

いや、実際、そんな自分は本当はもういないのかもしれない。ただ、いる可能性を想起して怯んでいるだけかもしれない。あるいはむしろ、私だけではなく誰もが、とまでは言えずとも、あの人やあの人も、多くの人がそういう気持ちを抱えたまま普通の顔をして生活しているのかもしれない。

そうした二つの憶測を、今の私は同じくらいの強度で感じている。どちらにしても、片側一車線の高架の高速道路を運転するのが、私は怖い。

 

 

 

 

 

「流れ」をつくる作業支援

作業所の支援者でした

 10年以上、知的障害のある人たちと農業をしてきた。私は、畑での活動を中心とする障害者福祉施設(昔でいうところの「作業所」)の支援員だったからだ。

 最近、転職したので、ここで自分の仕事の振り返りをしようと思う。書かないと忘れてしまうだろうし、せっかく身に着けたことを忘れてしまうのはもったいない気がするから。また、書くことで、これを読んだ誰か、たとえば同じような仕事をしている誰かの助けになったら嬉しい。さらには、関係ない仕事の人にも、「なるほど、障害者福祉施設の職員はそういうことをやってるのか」と理解してもらえたら嬉しい。

私はどのような仕事をしてきたか?

 振り返るにあたって、私がしてきた仕事を簡単に紹介する。守秘義務と身バレ防止の観点から、詳しくは書けない。ただ、仕事の振り返りにはそれでも十分だと思う。さほど特殊な仕事ではなく、似たような職場は数多あるからだ。

 私は、就労継続支援B型の障害者福祉施設で、支援員として働いていた。就労継続支援B型とは、一般の会社などでは就労が難しい人たちに働く機会を保障するサービスだ。

 私のいた職場では、このサービスを、主に知的障害のある人たちが利用していた。仕事内容は農業が中心だ。福祉施設で農業というと、「自然とのふれあいで癒される」という園芸療法的なイメージをする人もいるかもしれないが、そういう感じではない。近隣農家と比較してもそこそこの規模で、自分たちで野菜を栽培し、農協(JA)や直売所などに卸していた。仕事としての農業だ。

支援は、「作業支援」と「生活支援」に分かれる

 私の支援員という立場は、上記のように農業を主として、利用者さんに仕事の機会を保障するのが仕事だ。そのための支援である。では、支援とは何かというと、作業支援と生活支援に分かれる。

 作業支援とは、利用者さんが作業に調子よく参加できるためのサポートだ。具体的には、農作業の見守りと補助、利用者さんが難しい仕事の代替(トラクターや軽トラの運転など)、作業用具や資材の調達、作業場所の環境整備、作物の栽培計画の作成、売上の記録・集計などがある。

 生活支援とは、利用者さんの生活面の支援だ。だれも仕事をするためには、生活リズムを整えたり、服装を整えたり、健康管理をしたりする必要がある。そのために、利用者さんの様子をみて、話を聞いたり、声をかけたり、服装のチェックシートを作成したり、バイタルや体重の測定をしたり、服薬管理の手助けをしたりする。

 仕事と生活の両輪がバランスよく駆動することで、日々の生活が順調に進んでいく。そのための利用者さんへのサポートが、支援員の仕事であり、私の仕事だった。(実際には、仕事はもうちょっと多岐に渡る。作業支援と生活支援は、どちらも利用者さんそれぞれのニーズにあわせた個別支援計画に沿ってなされる。その個別支援計画の作成、振り返り(モニタリング)なども仕事である。適切な支援をできているか振り返るために、毎日、利用者さん一人ひとりの様子やその利用者さんへの支援について記録する(ケース記録の作成)。また、特に生活支援については、利用者さんの家族やグループホーム職員、相談支援専門員や医療関係者などとの連絡・協力が必要となる。その他にもあれこれあるのだが、特に利用者さんを送迎するための車の運転は、業務時間の結構大きな部分を占めていた。)

 なお、私の立場としては、チームリーダーという立場だった。私のいた施設では、担当する作物などに応じて複数のチームに分かれていた。私がいたチームには15人程度の利用者さんと3人の支援員がいて、私はその支援員のリーダーだった。(リーダーというと聞こえがよいが、たんに古株だったからそうなった。同業者の皆様には、10年以上働いて管理者やサービス管理責任者どころか主任にもなっていないあたり、私の平凡さや人徳のなさがご理解いただけるだろう。)

作業支援はどのように大切か?

 仕事の振り返りの最初として、まずは作業支援からとりかかる。利用者さんにとって、施設にいる時間の大半は作業時間だ。したがって、支援業務においても作業支援の重要性は高い。生活支援あっての作業支援ではあるが、施設にいる間だけでできる生活支援は、正直限界がある。生活の場は、家やグループホームだからだ。それに私としては、作業支援あってこその生活支援だと、経験的に感じている。だから、作業支援の話からはじめたい。(ここでは特に、知的障害のある利用者さんを中心とした就労継続支援B型における作業支援、それも農作業における支援を中心に書く。というのも、私がそのような仕事をしていたからだ。この記事の内容がどれくらい一般化できるかは、皆さんのご判断を仰ぎたい。)

 まず、作業支援とは、「利用者さんが作業に調子よく参加できるためのサポート」だと先ほど書いた。前提として、作業の主役は利用者さんたちだ。私たち支援員は、利用者さんたち一人ひとりが活躍できるようように、また、それを通じてチーム全体として作業目標を達成できるように、利用者さんをアレコレとサポートする。そのアレコレが作業支援だ。

 「アレコレ」とは、作業内容の調整、一連の作業の分割と割り当て、手順書の作成、道具や環境の工夫、わかりやすい作業法の伝達などであり、利用者さんと作業にあわせてなされる。その選択肢は多様であるがゆえに、作業支援は支援員の工夫の余地が大きい。工夫してうまくいけば嬉しい。だから作業支援は、仕事のやりがいポイントの一つだ。その一方で、もしも作業支援がうまくいかないと、利用者さんがそれぞれの力を発揮できないだけでなく、不満や退屈から「問題行動」へといたる可能性が高くなる。この「問題行動」にばかり着目して対処していると、支援は後手にまわり、利用者さんの生活に混乱をきたす。そうなったら、支援員も目がまわるばかりで、仕事のやりがいどころではない。だから、作業支援あっての生活支援だと、私は考えている。

作業支援の基礎は「流れ」の調整

 作業支援が順調にいくかどうかで、売上などの作業の達成度はもちろん、利用者さんの調子や職員のやる気も左右される。だから作業支援は重要である。

 では、多様な選択肢がある作業支援において、私たち支援員は、どのようにその都度特定の支援活動を選んでいるのか。まずこの選択において重要なのは、個々の利用者さんの能力の発揮や、チーム全体としての生産性の向上という目標である。ただ、この目標は常に念頭にあるが、作業支援の具体的な選択の基準としては、少々抽象的で漠然としている。目標と選択との間に距離がありすぎるから、考えるのに時間がかかる。しかし、作業中にゆっくり考えている暇はない。

 たとえば、利用者さん10人以上でほうれん草の出荷準備をしているときは、ほうれん草がかなりのスピードで積みあがっていく。その作業中に、何かうまくいかないからと、どこが悪いのだろう、どうしたらよいだろう、などとゆっくり考えていたら、作業はあらぬ方向へ行き、ほうれん草は傷つき、しなびてしまう。利用者さんはがっかりし、不満を抱く。かといって、何かあるたびにいちいち全員の手を止めていたら、それはそれで利用者さんのやる気を削ぐし、やりきれなかった畑のほうれん草は伸びきって畑の肥やしになってしまう。ゆっくり考えていては、目の前の事態に対処しきれない。だから、実際に支援する際には、トラブルの芽に早めに気づき、そこをすぐに手当てすることを可能とするような、直感的な視座が必要となる。

 その作業支援における直感的な視座とは、「流れ」の調整だ。「流れ」を見ること、つくること、よくすることが、作業支援の基礎中の基礎だ。少なくとも、私はそのように作業支援していたし、私の周囲の作業支援がうまいとされる支援員は、この「流れ」の調整が上手だった。

 前述のほうれん草の出荷準備を例に説明する。ほうれん草を出荷するためには、①収穫する→②根を切る→③不要な外葉をとる→④土を拭く→⑤汚れや虫食いなどないか確認する(ある場合には取り除く)→⑥重さをはかる→⑦袋に入れる→⑧出荷用の箱に入れる、という工程を踏む。このように工程を分けたうえで、それが一連の活動としてスムーズに進んでいるかを直感的に判断する認識ツールが「流れ」である。この場合、一連の作業という「流れ」にのって、ほうれん草が流れていくイメージだ。

 ①から⑧までに分けたが、これはこの作業に8人を必要とすることを意味しない。人によっては②~⑤までを一連の作業としてこなす。だが、あえてAさんは「②根を切る」だけ、Bさんは「③外葉をとる」だけ、Cさんは「④土を拭く→⑤汚れや虫食いなどないか確認する」だけ、と分業した方が「流れ」がスムーズな場合もある。それは②はハサミ、③は手、④は布巾、というふうに使う道具がかわり、その都度持ち替える必要があることで、「流れ」が悪いからだ。一方で、「⑦袋に入れる→⑧出荷用の箱に入れる」は、分けたところで⑦の担当者は袋詰めしたほうれん草をどこかに置く必要がある。だから、ほうれん草を入れやすい場所に出荷用の箱を置き、⑦⑧を一連の動作として理解した方が、「流れ」がよいだろう。重要なことは、①~⑧をチーム全体としてスムーズかつ適切に遂行すること、全体としての「流れをよくする」ことだ。

 たとえば、「⑦袋に入れる」を担当する人が手持無沙汰にしている時間が多いときに、「手前のどこかで流れが悪いな」と考える。全体を見渡して、「⑥重さをはかる」のはかりの手前(「⑤汚れや虫食いがないか確認する」との間)にほうれん草が積みあがっていることに気づいたら、それは「⑥重さをはかる」で「つまっている(から流れが悪くなっている)」と判断する。「流れをよくする」ためには、「⑥重さをはかる」の(a)担当者の変更、(b)担当者の増員、(c)現担当者のままやり方を変更、というどれかでスピードを上げるか、(d)詰まっている箇所(⑥)のペースにあわせるためにそれ以外の担当者(①〜⑤と⑦)を変更する、という方法がある。

 (a)~(d)のどれを選ぶかも、「流れ」を見ることで判断する。私の経験上、不慣れな支援員は「(a)担当者の変更」を拙速に選ぶ傾向がある。実際、「つまっている」箇所の担当者を手早い人に変えれば、即座に「流れをよくする」ことができる。余裕がないときには、この選択肢は重要となる。しかし、それでは「⑥重さをはかる」の元の担当者は自信を失うかもしれない。適切なフォロー、たとえば、次の機会の提供とそのときのための練習の機会の提供を約束する声かけなどが求められる。

 「(b)担当者の増員」は、この「流れ」では、かなり有効に思われる。それというのも、全体を見たときに、①~⑤の「流れ」が相対的に早いからだ。「①収穫する」は「流れ」の端緒だから、一番最初に終わる。その担当者が、「⑥重さをはかる」の増員として行く方法がある。また、②~⑤は1人で複数の作業をこなすことも可能だから、複数人いる場合には誰かが「⑥重さをはかる」の増員にいって欠けても、「流れ」は悪くならない。ほかには、最もシンプルな方法として、「⑦袋に入れる」の担当者がそもそも手持無沙汰だから、「⑥重さをはかる」に加勢すればよい。

 「(c)現担当者のままやり方を変更」は、「(b)担当者の増員」との組み合わせとして有効かもしれない。それというのも、やり方を変えるには、まずは余裕が必要だからだ。やり方を変えるためには、どのようにやり方を変えるかを支援者が判断し、新しいやり方を考え、試し、よさそうなやり方をみつけたらそれを利用者さんに教え、習熟するように促す、という過程が必要である。だからやり方を変えるときは、短期的にはむしろ以前よりも「⑥重さをはかる」に時間がかかり、「流れ」がさらに悪くなってしまう。そのため、まずは「(b)担当者の増員」で余裕をつくり、そのうえで、「(c)現担当者のままやり方を変更」にとりくむとよい場合が多い。

小さな「流れ」を見る

 「(c)現担当者のままやり方を変更」をするためには、「流れ」の見方には大小があることを理解していると、話が早い。先ほどまでは①~⑧までを一つの「流れ」として記述してきた。ただ、この①~⑧という分け方は便宜的なもので、実際にはもっと小さく細かく分けることができる。たとえば「⑥重さをはかる」という一つの工程は、(ア)ほうれん草をつかむ→(イ)むきをそろえる→(ウ)根本をそろえる→(エ)はかりの上にのせる→(オ)メモリを見て確認する→(カ)少なければ(ア)に戻る、多ければ減らす→(キ)メモリを見て確認する→(ク)ズレていれば(カ)に戻り、ぴったりならば「⑦袋に入れる」の担当者に渡す、というさらに小さく細かい工程でなされている。このように「⑦袋に入れる」を(ア)~(ク)の一連の「流れ」としてみると、この「流れ」のうちで短くできるところ、早くできるところが見えてくる。

 具体的には、「(イ)むきをそろえる」は、「⑥重さをはかる」ではなく、「⑤汚れや虫食いなどないか確認する」に含めることで、「⑥重さをはかる」の「流れ」を短くできる。また、同様に、「(ウ)根本をそろえる」は、「⑦袋に入れる」に含めることができる。これによって、「⑥重さをはかる」における(ア)~(カ)の「流れ」が短くなるので、①~⑦の「流れ」において⑥で生じていた「つまり」が少し解消され、「流れ」がよくなる。

 もっと細かく「流れ」を見ることもできる。たとえば、ほうれん草を230グラムで計量しているとする。この際、「⑥重さをはかる」の「(オ)メモリを見て確認する」では、(ⅰ)現在の重さを示す針の位置をみる→(ⅱ)200のメモリをみる→(ⅲ)そこから10グラムごとのメモリを3本数えて230グラムの位置を確認する→(ⅳ)230グラムのメモリと、現在の重さを示す針との差を判断する、という一連の「流れ」として見ることができる。この際、たとえば、事前にはかりの針を30グラム戻しておくことで、200グラムのメモリが実質的には230グラムになる。そうすると、(ⅱ)~(ⅲ)が「200グラムのメモリをみみる」という一つの工程に短縮される。あるいは、230グラムのメモリにシールなどで印をつけてもよい。これにより、(ⅰ)~(ⅳ)という「(オ)メモリを見て確認する」の「流れ」が短くなり、それによって「⑥重さをはかる」の「流れ」が短くなり、さらには①~⑧の「流れ」もよくなる。

大きな「流れ」を見る

 以上のように、「流れ」をより小さく細かく見ていくことで、結果としてそれより大きな「流れ」をよくする可能性が見えてくる。その一方で、「流れ」をより大きく見ていくことも大切である。

 「(d)詰まっている箇所(⑥)のペースにあわせるためにそれ以外の担当者(①〜⑤と⑦)を変更する」は、一見すると、悪手に見えるかもしれない。それというのも、「⑥重さをはかる」の遅いペースに全体のペースを合わせるため、一見すると非効率だからだ。だが、これもより大きな「流れ」において見ると、必ずしも悪い選択肢ではない。

 たとえば、「(1)ほうれん草の出荷準備」だけが、今日やるべき仕事とは限らない。「(2)長ネギの収穫」もやる必要があるかもしれない。その場合には、「(1)ほうれん草の出荷準備」の流れにおいて十分に活躍できていない①~⑤と⑦から何人か抜けて「(2)長ネギの収穫」に行くことで、「(1)ほうれん草の出荷準備」の流れは速くならないが、「(2)長ネギの収穫」に早めに取りかかることができる。結果として、今日やる仕事全体の大きな「流れ」は、むしろよくなる可能性が高い。

 これはその日の仕事の「流れ」だけでなく、1週間の仕事の「流れ」、1ヶ月の仕事の「流れ」、1年間というように、より大きな「流れ」においても見る必要性につながる。たとえば、ほうれん草は、収穫に適した期間が短い。油断すると数日で大きくなりすぎて、売り物にならない。一方、長ネギは、収穫できるくらい育っても、しばらく畑に置いておける。1ヶ月ほどの間にすべて収穫・出荷すればよい。だから、上で記したように、まずは「(1)ほうれんの出荷準備」を優先して、その進捗にあわせて「(2)長ネギの収穫」を進めればよい。

 また、利用者さんの適性にあわせて全体の作業の「流れ」を考える必要がある。たとえば、ほうれん草は傷つきやすい。手先が不器用の利用者さんには、不向きなこともある。長ネギはほうれん草ほどではないが、それでも繊細である。しかし、里芋であれば、傷はつきにくく、手先の器用さはそれほど求められない。どちらかと言うと、体力勝負である。逆に言えば、ほうれん草の出荷準備は得意でも、里芋の収穫は苦手な人もいる。できる仕事がないから利用者さんを暇にさせる、というわけにはいかない。だから支援者は、仕事の組み合わせに頭をひねる。

 くわえて、農業という仕事上、季節によってつくる作物も変わる。当然、収穫だけではなく、それまでの畑作り、種まき、定植、除草、薬散、その他諸々の作業がある。輪作といって、同じ畑に同じ科の作物を植え続けないようにまわす必要もあるし、どこに何を植えるか考えるためには、畑の広さや水捌け、井戸からの近さ、収穫物を運んだりする車の入りやすさ、施設からの徒歩での行きやすさなど、多数の点を考慮する必要がある。

まとめ

 以上のように、作業支援では、環境などの条件を考慮しつつ、利用者さんそれぞれの仕事の適性を踏まえて、一人ひとりが活躍できるように、作業の「流れ」をつくる。よい「流れ」ができると、それぞれが力を発揮できるうえに、全体で協力して効率的に働ける。そうすると、働いていて気持ちがよい。気持ちよく作業できると、作業に集中できるし、それを通じて成長できることも嬉しい。逆に、やることがないと、利用者さんは暇で、「問題行動」を起こす。それは利用者さんが「問題」だからではない。他の人が忙しそうに働いているのに、自分だけやることがなく、ただぼんやりとしていろと言われれば、誰だって「問題行動」をするほかない。だから作業支援は大切で、支援者としては、そこに難しさもやりがいも感じられる。

傘を持って歩く

幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が

繰り返すようなものじゃなく

大切な人に降りかかった雨に傘を差せることだ

 

backnumberの「瞬き」の歌詞である。私にとって、不思議と胸に刺さる感覚があり、それでぼんやり考えていたら思い出したことを書く。

「もしも生活に困ったら、10年後でも、声をかけてね。僕は金がないと思うけど、何らかの制度にはつなげるから」。これは、学生時代、好きな人に送った言葉である。その人とは交際関係にあった時期も、そうでない時期もあった。若かった私たちは、色々な事情で不安定だった。そんななか、どんな気持ちでそれを口にしたのか、もはや胸の中に想起することは難しいけど、私は繰り返し、同じような内容を伝えた。自分とこの人は一緒には幸せになれないかもしれないけど、この人には幸せでいてほしいし、何かできることがあるならばいつでも力になりたい。たぶん、そんな意味のメッセージだったけど、あの人はいつもその話をするときは笑っていた。

いま、私は福祉の仕事をしている。当時、全然別の学問を学んでいた私は、その後、就職に失敗したり、ぷらぷらしたりして、結局は福祉の仕事に落ち着いた。知らないことはまだまだ多く、日々新たに学ぶことだらけだけど、福祉制度には人より詳しい。

ただ、福祉業界で働き始めた理由は、上で書いたこととは、ちょっと違った。「私がこんなに働くのが向いていないならば、他にも向いていない人がいるはずだ。それは社会が悪いからだ。それならば、そういう人たちと一緒に、働ける社会を作ろう」という誠に手前勝手な理由で、就労継続支援の仕事に就いた。世界憎み力である。

今でも似たような気持ちはあるけど、それなりに長年働き続け、いつまでも弱い若者気分でいると他者を踏みつけてしまう立場になってきた。それに、あの頃を思うと、我ながらよくやっているし、まあまあ幸せに暮らしている。もちろん、世の中は不正に満ちているけど、歳を重ねるとともに人それぞれに事情があることを肌で理解した。あの頃、自分の原動力だった世界のすべてを憎む気持ちは、いまや心の片隅で体育座りしている。

それでも、私は相変わらず、福祉の仕事をしている。原動力を失ったはずの私は、それでも働いている。やる気は満々ではないが、ため息をつき、浅くなった呼吸を整えながら、やれることをやろう、なるべくならよい支援をしようと、仕事している。

それは、傘を配りたいからではないか。

私が世界を憎まなくても、世界に雨は降りそそぎ、誰かが屋根を作っても、世界中を屋根で覆うことは難しい。私は、雨を憎んでいたけど、自分が傘を差すと、自分の頭上の雨はさほど気にならなくなった。でも、あの頃、目の前で傘を必要な人がいた。今も目の前で傘が必要な人がいる。目の前にはいなくても、雨に降られて濡れている人がいる。私は配るための傘を抱えて、よい傘をもらえる場所を案内するための情報を集めている。雨に濡れた人には、それぞれにあったサイズや素材の傘を、傘を差すのが難しい人にはいい感じの合羽を、使ってほしい。

世界は雨が降り止まないけれど、自分にあった雨具を手に入れて、みんな好きなところに歩いて行ってほしい。だから私は、働いている。